コンテンツにジャンプ

トップページ >  資料を探す >  和光市ゆかりの作家

和光市ゆかりの作家

和光市図書館では、和光市ゆかりの作家コーナーを設置し、児童文学作家の「大石真」、童謡詩人の「清水かつら」、絵本作家・凧研究家の「新坂和男」についてご紹介しています。
当館で所蔵している資料のリストはPDFでご覧いただけますので、ぜひご覧ください。

大石 真(おおいし まこと)

 1925年(大正14年)128日、白子村(現在の和光市白子)で生まれる。父・巌は医者で、母・喜代と姉と二人の兄がいる裕福な家庭の末っ子として育つ。1959年(昭和34年)に移転するまで居住していた。
 第一早稲田高等学院理科在学中に、早大童話会に入会、坪田譲治氏と出会う。早稲田大学英文科在学中に、大和中学校の代用教員になる。
 大学卒業後、小峰書店に入社し、1967年(昭和42年)に退社するまで、編集者・編集長として働きながら数々の児童文学作品を生み出していった。退社後作家活動に専念。1990年(平成2年)94日、病気で65年の生涯を閉じた。
 40年近い文学活動で生み出された作品の数々は、ジャンルを超え200冊余りにも及ぶ。
代表作は「風信器」第3回日本児童文学者協会新人賞受賞。「見えなくなったクロ」(講談社)第12回小学館文学賞受賞。「チョコレート戦争」(理論社)。「眠れない子」(講談社)第28期野間児童文芸賞、第31回日本文学者協会特別賞受賞。

清水 かつら(しみず かつら)

 1898年(明治31年)71日、東京本所小名木川(現在の東京都江東区深川)で生まれる。両親は裕福な士族であったが、明治維新の後零落し、母は幼いかつらを残し去ってしまう。
 かつらは、幼少の頃から童謡、俳句、詩歌に興味を持ち、作文や書道に秀でていた。
 京華商業高校卒業後、神田の小学新報社で雑誌「少女号」等の編集の仕事をしながら、創作活動を続け、「靴が鳴る」等の作品をこの雑誌に発表した。
 1923年(大正12年)関東大震災の被害にあい、家屋、家財を全て焼失したため、継母の実家のある新倉村(現在の和光市)に身を寄せる。その後白子地福寺近くの池のある家に約15年間くらした後、白子川のほとりの家に移り住み、1951年(昭和26年)74日病気で53歳で亡くなるまで、童謡詩人としてたくさんの作品を創り続けた。
 代表作に「叱られて」「あした」等、恵まれなかった少年時代の父母の愛を求めた作品や、「靴が鳴る」、「雀の学校」、「みどりのそよ風」等、田園風景や自然を歌った作品がある。

新坂 和男(にいざか かずお)

 1943年(昭和18年)414日、和光市白子で父・誠作、母・菊栄の三男として生まれる。
 小学校1年生の時に、森永製菓主催の「全国母の顔コンクール」に入賞。
 1963年(昭和38年)3月、日本デザインスクール卒業。
 青年期には、旧ソ連、ヨーロッパ、中近東、アジア各地等24ヵ国を放浪し、帰国後絵本の作家活動に入る。同時に凧作りに取り組む。
 1978年(昭和53年)9月、著書「凧の謎をとく」(ポプラ社)で厚生省児童福祉文化奨励賞受賞。
 1987年(昭和62年)316日、44年の生涯を閉じた。
 代表作は「のはらどってんと」(志光社)、「しろいふねといるかたち」(すずき出版)、「とうだいのひまわり」(福音館書店)、「日本の凧」(角川書店)、「やさしく作れる日本の凧」(ぎょうせい)、「絵凧の技法」(美術出版社)等、多数。